火証と熱証、火と熱は同根であり、熱は火の初期段階、火は熱の極致であり、ただその程度が異なるに過ぎない。近代の秦伯未は、「熱は無形と有形の両方に属し、これらは互いに通じている」と述べている。
火熱の証は極めて多く、その病態も広範である。『内経』の病機に関する19条のうち、火熱について論じているものは10条のうち8条、寒について論じているものは10条のうち2条である。程鍾齢は言う。「朱丹渓はさらに『虚実』の二字をもってこれを論じ、実に善言なり。実火とは、六淫の邪気や飲食傷が、外より入り、その勢いは賊の如し。」
虚火とは、七情や色欲、労役による神気の消耗が、内より発し、その勢いは子の如し。火は六淫の末端であり、六淫はいずれも火へと化すことができ、外邪の火となる。痰飲、食滞、気鬱、血瘀もまた火へと化すことができ、内邪の火となる。これらはすべて実火、邪火に属し、すなわち程氏が言うところの賊火である。しかし、正気もまた火に化すことができ、例えば心の君火、肝の相火、胆の雷火、腎の龍火、すなわち命門の命火は、静止している時は正火、少火であるが、動けば邪火となり、壮大となる。
少火は気を生じ、壮火は気を食う。多くは虚火である。故に火証には内外の虚実の区別がある。実火は消耗し、実から虚へと至る。虚火が熾烈であれば、虚中に実が挟まれていることになる。
また、「鬱火」という一証について、古人は多く気鬱が火へと化す気火証を指したが、風・寒・湿・痰による火証を鬱火証とする場合もある。現在の実例によれば、心情の鬱屈や鬱怒によって生じる気鬱化火を気火証とし、風・寒・湿・痰・食などの内外の陰邪が混ざり合って気機を鬱滞させ、陽気が宣泄できず、長く鬱積して火に変わる証を鬱火証とし、火鬱とも称する。すなわち『経』に「火鬱は発すべし」と説く鬱火証である。程鍾齢は『駆賊火四法』において、「第一に発。風寒が閉塞し、火邪が内に鬱するものは、昇発させるのが宜しく、升陽散火湯の類がこれにあたる」と論じている。これより、鬱火証は気鬱が火に転じた気火証とは異なることが分かる。
火証の治療原則においては、虚火と実火を区別すべきであり、程鍾齢はこれについて極めて詳述している。その原則として、「外火は風・寒・暑・湿・燥の火、および熱食による損傷であり、これらは賊火である。賊は駆逐すべきであって留めてはならない。内火は七情・色欲、労役による神気の消耗であり、これらは子火である。子は養うべきであって害してはならない。賊火が来ればこれを駆逐し、消散・清涼・攻伐などの薬は、いずれも法に従って用いることができる。子火が逆らえばこれを安んじ、補気・滋水・理脾などは、いずれも法に従って施治することができる。」
程氏は、賊火を駆逐する四法を「発・清・攻・制」とし、子火を養う四法を「達・滋・温・引」とした。程氏はまた次のように述べている。「賊火には攻めが適し、子火には養が適する。しかし、邪気が盛んで正気が虚弱な時には、攻めと補を併行する法、あるいは水を滋養し火を制する法を用いると、往々にして効果が見られる。これにより、子火を養う法は賊火を駆逐する方として借用できるが、決して賊火を駆逐する法をもって子火を養う理とすることはできない。蓋し、正を養えば邪は自ずから除かれる。これは理にかなうことであり、我が正であれば身を保つことができる。世の人々は温補を用いて邪を養う者が多く、恣意的に攻伐を行って正を駆逐する者もまた少なくない」。病证系统:详见图 93

コメント
コメントを投稿