飲証は、通称して水飲証とも呼ばれ、また痰飲とも呼ばれる。水・飲・痰の三つは、本来同源のものであり、いずれも人体の津液が変化したもので、すなわち水液の運行異常によって生じる病理的産物である。しかし、その外観によって分ければ、清稀なものを飲とし、稠濁なものを痰とする。その属性によって見れば、飲は陰に属し、痰は陽に属するという区別がある。すなわち、水と飲は、同源であるとはいえ、わずかながら区別があり、少量であれば飲とし、集まれば水となる。しかし、総じて陰邪に属し、肺・脾・腎の三臓の陽気を病む。
肺気が水道を通調し膀胱へ下送できず、脾気が胃と共に津液を行らせず、腎陽が水液を気化・排泄できない場合、いずれも水液の停滞を招き、水飲の証となる。
また、水飲には内飲と外飲の区分がある。外飲は日常の飲食や水穀に由来する。例えば、夏に冷水を貪り飲み、生ものや冷たい果物、氷を好んで食べ、脾胃の陽気を鬱滞させる場合や、冬に茶や酒を好んで飲み、厳寒の季節に陽気が蟄蔵し、運化が不足する場合、あるいは外感風寒により肺陽が鬱塞し、宣化の力が弱まる場合など、いずれも水飲を形成し得るもので、これを外飲と呼ぶ。内飲は、腎命火衰により、気化が及ばず、水液が停滞することによる。故に、外飲は実証が多く、内飲は虚証が多い。
水飲の証は、総じて陰邪に属し、最も寒に転じやすい。あるいは外寒を伴って発すれば、通称して寒飲の証と呼ばれる。しかし、飲は陰邪であり、陽気を鬱遏させやすく、陽気が長く鬱すると熱に転じる。あるいは外感の温暑の熱を併せ持つ場合、これを飲熱の証と呼ぶ。
飲証の治療原則は、総じて温法を用い、陽気を助けて陰濁を化すことにある。『金匱要略』には「痰飲の病には、温薬をもって和すべし」という法がある。古人は「外飲は脾を治し、内飲は腎を治す」という原則を掲げており、すなわち脾腎の陽気を温通させ、その気化を助けることで、津液は自ずから巡り、飲留の患いを防ぐのである。たとえ虚証で補法を用いるべき場合でも、陽を助けるにとどめ、陰を滋養してはならない。舒馳遠は「水飲を治すに陰を滋養してはならない。陰を滋養すれば陰はますます長じ、陽はますます消え去る」と述べているが、これこそが飲証を治す上での要諦である。饮证证候结构图见图230

コメント
コメントを投稿