気鬱証は、気病の実証における根本となる病であり、気鬱、気瘀、気痰、気火はいずれも気鬱から併発する証である。気鬱の証は、臓腑の気機が鬱滞する証であり、すなわち臓気の自病である。病は、情念が遂げられず、七情が鬱結すること、あるいは憂思によって気結が生じること、あるいは鬱怒や暴怒によって肝を傷つけること、あるいは悲傷によって肺を傷つけることなどに起因し、いずれも臓気の内鬱を招き、昇降の調和を失わせる。
上には肺気鬱結となり、中には脾気鬱結となり、下には肝気鬱滞となる。気に関する証は、とりわけ肝気の鬱滞が多い。肝は剛臓であり、疏泄を好む性質を持つため、七情に逆らえば、肝の条達を失い、疏泄できなくなり、臓腑の気が通暢を失う。ゆえに肝鬱の証では、脾・胃・肺・腎の気も多大に影響を受ける。したがって、気に関する証といえば、多くは肝鬱を指し、また肝鬱も概して気鬱と称される。
しかし、上・中焦の肺や脾の気鬱の中には、情志に起因しないものもある。例えば、寒さにさらされたり冷たいものを飲んだりして痰飲が肺に鬱滞したり、飢餓や過食によって飲食が脾に鬱滞したりする場合などである。これらについては、すべて肝のせいにすることはできないため、古代には「六鬱」という呼称があった。
気鬱証は、臓腑の本来の気が自ずから病む証である。古人は「流行するものを気という」と説いた。気がその流行の常を失えば、即ち病態となる。昇降出入は、気の流行の常序である。上焦の肺気が宣降の常を失えば、肺気鬱となる。中焦の脾は清を昇らせ、胃は濁を降す。脾胃の昇降に失調があれば、脾気鬱となる。肝は条達を好み、疏泄を主る。気の昇降出入や秩序ある流行は、すべて肝の疏通と調節に依るものであり、肝気が鬱滞すれば、疏泄の職務を全うできなくなる。上では肺の宣降、中では清濁の昇降、下では腎の気化と施泄が、いずれもその影響を受けるのである。したがって、肝気の鬱は、諸気の鬱の根本原因であり、肝気が鬱逆して中焦に横たわると、脾胃の気がその害を受け、肝胃・肝脾の合病となる。上は肺に逆流し、下は腎に鬱積し、その結果、肺気は肝を制することができず、腎気は肝に通じることができず、肝気はますます鬱し、それゆえに肝病は肺病・腎病と併発し、併病となる。 证候系统:详见表62

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